私は新卒一年目で配属された先が営業でした。
そして、一年半、営業を続けて、最終的にその環境から抜け出すことを自ら選択しました。
思えばその間、辛い7割:楽しい3割みたいな状態で、ずっと走ってきたような気がします。
営業をしていた頃はお休みの日も、
月曜日が憂鬱で涙が出てきたり、
友人と会っている時もふと頭の中に仕事のことがよぎって、
テンションが下がってしまう…みたいなことが毎週のようにありました。
営業という仕事は向き不向きがあり、
自分はおそらくその「不向き」だった側の人間で、毎日「早く過ぎ去ってくれ…」と願うような日々を過ごしていました。
それでも、「やらなければ良かった」と後悔していることはなく、むしろその苛酷な日々を乗り越えたから、
今の自分があると思っています。
営業を辞めた今、そんな地獄のようで、
けれどもたくさんの収穫も得られた、営業の日々を振り返りたいと思います。
1.営業は誰もが通る道? と言われて配属された結果
私の会社では、まず新入社員は営業を経験することが当たり前でした。
もちろん営業以外の職種もありますが、
「まずは現場を見ることが必要」という長年の慣習のもと、
新入社員である私は、当然のように営業に配属されました。
当時はそのことに疑いを差しはさむこともなく、
新入社員1年目だった私は「まずは営業やってみます! 営業楽しみです!」という気合と、
わくわくの入り混じった気持ちで、配属の日を迎えました。
今思えばそれが激動の日々の始まりだったのです…。
研修などをいろいろ受けて、正式に配属されました。
そこで初めて、「あれ?何かおかしい…」と感じる出来事がありました。
先輩社員が「驚かすようだから言わないけど、本当に無理しないでね」とか「仕事を目の前にして、逃げ出したことがあって…」とか、
何かを隠し事があるような、仄めかした言い方をするのです。
また、配置されたエリアがほぼ全国のような状態で、
一人ではとても抱えきれないような広範な地域のお客様を担当することになりました。
「新入社員1年目なのにこんなに…?」と思ったり、
また他部署の先輩社員に「広すぎるんじゃない?」と言われたりして、
なんだか変なのかな?とうっすら感じました。
今思えばそれは、当時の環境があまりにも苛酷すぎて、
多くの人がリタイアした結果、
新入社員である自分にお鉢が回ってきたということだったのです…。
2.苛酷な営業活動の始まり…ノルマに負われる毎日
そして、いよいよ私自身の営業としてのキャリアがスタートしました。
最初の1か月間は本当に取引先を回るのが精いっぱいという形で、
飛ぶように日々が過ぎ去っていきました。
毎日朝早く、時には朝4時や5時台に起きて移動、現地で夜遅くまで働き、
週末に最終の飛行機や新幹線に乗って夜11時頃スーツケースとリュックを抱えて帰宅、
家のベッドに倒れ込む日々でした。
初めの数カ月こそ、
物珍しさと慣れない環境に自分を適応させるのに必死で、
辛いとかしんどいとか感じる事すらありませんでした。
それどころか常にアドレナリン全開の状態で、
文字通り朝から晩まで駆けずり回り、「やり切った!」という達成感のようなものを感じていました。当時の記憶は正直ほとんどありません…。
新入社員、かつ営業に配属された以上、
数字に対して貪欲で、成果を出さなければいけないと思っていた私は、
毎月のノルマを達成しようと生真面目に取り組んでおり、
毎日ゴールの数字を確認しながら、あとどれぐらい、あとどれぐらいと日々自分を追い込むような形で働いていました。
3.終わらない日々、泣きながら働く。先輩社員の相次ぐ退職
なんだかおかしいと思ったのは、営業を初めて3か月目の頃です。
起きたその瞬間から仕事を始めて、
夜は深夜0時を回った頃ホテルに到着、そこからご飯を食べたりお風呂に入って就寝…という日が続きました。
夜の11時にとある県の駅で、未だ来ない電車を待ちながら、
友人に電話をかけていました。
これはおかしい状況なのではないか、ふとそう思いました。
友人に「まだホテルに着いていないし、仕事も終わってすらいない」、
そう話しながら「いつでも辞められるし、いつでも辞めてやる。そういう精神状態じゃないと、これ以上、働き続けられない」。
そういう言葉が自分の口から漏れました。
当時の自分の本音だったと思います。
毎日、辞めようと思えばいつでも辞められる、そう自らに言い聞かせながら、
ひたすら目の前の営業活動と終わらない仕事の山、くり返し訪れる毎日を、
乗り越えていく日々でした。
また、営業特有の辛い瞬間もあり、
飛行機で地方の僻地へ行ったにも関わらず、
お客様に「御社とは取引もしないし、名刺もいらない」と言われました。
帰り道、自分はこんなところで何をしているんだろう、という思いと共に涙がこぼれ、誰も知り合いがいない道を一人ガラガラとスーツケースを運びながら、歩いていました。
仕事中に泣いてしまったのは、この時以外にも数回あり、また毎週の日曜日は翌週から始まる月曜日が憂鬱で仕方がなくて眠れず、
泣きながら朝を迎えるということもありました。
営業はどこもそういった環境なのかもしれませんが、
体感する当事者にとっては非常に苛酷な現場だったため、
先輩社員も相次いで退職し、次々と人がいなくなっていきました。
4.休職できたら逆に楽と思えた。でも逃げないで闘う。
苛酷な現場から人が辞めていき、
残ったメンバーも休職していき、それでも自分は仕事を離れることができませんでした。
酷い言い方かもしれませんが、
自分にとってもはや「体調やメンタルを崩して休職できたらいっそのこと楽」だと思うほど追い込まれていて、
そのように仕事から離れていく人たちを羨ましいとすら思ってしまうことがありました。
しかし、どんなに辛いと感じても、
どんなにボロボロになって疲弊しても、
私自身は元々が頑丈にできていたのか、完全に潰れてしまうことがなく、
ひたすら嫌だと思う気持ちと、「仕事だからやらなければいけない」という気持ちの間の葛藤で、闘う日々が続きました。
雨で豪雨の日も、たった一人スーツで頭から靴までびっしょり濡れながら、
スーツケースとリュックを抱えてバスを待って、
35度を超える猛暑の日も朝から晩までご飯も食べず、水分も取らず、
半ばゾンビのようになりながら、ドロドロの状態で足を引きずりながら歩いたり…
ありとあらゆる苛酷な体験を経験したと思います。
もちろん数字が足りなければ上司に詰められることもあり、
駅で一人立ち尽くしながら、営業電話をかけた日もあります。
吐き気を催したり、
消えてしまいたいと思った日もありましたが、
なんとか根性で逃げずに闘い続けていました。
そんな日々の中で、
優しくしてくれたり喜んでくれたり、
仲良くなったお客様がいて、そういう人たちに心の底から救われて、仕事を続けていました。
5.営業を辞めると決断した日
それでも、私は営業を辞めることを決断しました。
自分のキャリアを叶えたいと思ったからです。
また、自分の人生の時間を大切にしたいと思ったからです。
毎日が苦痛で、早く終わってほしいと願いながら、過ごしている状態は決して良い状態ではないと思いました。
冒頭にも述べたように、
営業に向き・不向きがあるとすれば、
私は向いている方ではありませんでした。
全員が全員、営業に対してネガティブな感情で働くわけではなく、
営業という働き方に対して、自分には適性がなかったのだと単純にそう思っています。
自分は営業という仕事に対して、「離れる」という決断を下しましたが、
拙い営業活動の中で、
大切にしてくれたお客様への感謝の気持ちは今もなお消えることはありません。
ここまで述べてきたような、苛酷な環境を経験したからこそ、
今、仕事に対してハングリーに、粘り強く向き合うことができています。
”営業”の日々は、自分にとって炎の輪をかいくぐっていくような、
痛みを伴う大変な環境でしたが、
その日々は自らの糧になって、自分を強くしてくれていると思います。
これからも”営業”で身に着けた、「ド根性」を胸に頑張ります!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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